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2011.03.13Sunday
ブログの更新ができない間カウンターがはねあがっていて、皆様にご心配いただいたのではないかと心苦しく思っています。


発生時は東京都内におり帰宅難民になりましたが、幸いいま無傷で家におります。


家族ともすべて連絡はとれました。



記憶の整理も兼ねて、地震発生直前から無事帰宅するまでの二十四時間を記録しておきたいと思います。

帰宅難民という貴重な経験をさせていただき、いろいろな人に出会い、いろいろなことを感じました。

忘れないうちに書き留めておきます。
もし今後何らかの原因で一晩自宅外で過ごさなければならなくなった場合の女性の行動の参考にも(もちろん反面教師にも?)なればもっと幸いです。



とても長くなるので追記にします。




私は静岡で18歳までをすごしました。
ご存知のとおり静岡は東海大地震の可能性が数十年前から指摘されており、生まれたときから地震の教育をうけ、防災訓練といえば地震の訓練、という中で育ちました。

幼いころから何度も小さな地震を経験していましたし、十代で震度6弱を体感したこともあり、震度4程度まで揺れなら「ああ、揺れてるな」くらいの気楽さで過ごせる…つまり地震への精神的なストレスはかかりにくい人間だったことも幸いしたと思います。



3月11日の昼ごろ、私はアシスタントの徹夜仕事で漫画作業のあと、
そのまま仕事場で3時間程度の仮眠をした状態で、
出版社の担当との打ち合わせに向かっていました。
それまでほとんど休みなく作業しており、睡眠不足も続いていたので
「打ち合わせが終わったらすぐ家に帰ってマッサージに行って死ぬほど寝るんだ!」と決めていました。


そして十二時半ごろ、担当と打ち合わせした秋葉原に着きました。駅前のデニーズでとても楽しい打ち合わせをし、時計をみると二時すぎ。話し込みすぎましたねと言いながら担当とデニーズを出ようとしたら、地面がふわっと揺れました。

私は睡眠不足だったので眩暈かな、と思っていたら、どんどん強くなり、はっきり地震だとわかりました。「震度5はあるだろうな」と感じました。
担当と一緒に急いで下に降り(デニーズは二階でした)、それでもまだ揺れ続けていて
「大きいだけじゃなくてとても長い」と感じました。
揺れとしては同程度のものを経験した記憶があるのですが、揺れている時間の長さはいままでで一番、とくに長く感じました。

担当と駅に行き、JRが運転を見合わせはじめてしまい、電車には乗れなくなりました。
担当は秋葉原からなら徒歩でも帰社できるため、電車を使わずに歩いて帰りました。

担当と別れたあと一人になった私は、異様な空気の中、しばらくJRは動かないと思い、また本能的に今日は帰れないかもしれないと感じ、まずドコモショップに駆け込んで携帯を充電させてもらいつつテレビを見ました。


テレビでは、生中継で、津波が街を襲うのを見ました。
映画かと思いました。
家がまるごと、まるでおもちゃのように流され、波の上で炎が燃えているのを見ました。
あの映像は一生忘れないと思います。衝撃的でした。


そしてその日は姉の子供の保育園に子供を迎えにいくことになっていたので、行けないかもしれない、と姉にメールをしました。
充電しながら、テレビをみながら、しばらくこの後のことを考えました。

そして五時ごろ、もう陽がおちてしまう、と思い、充電も終わったので外に出ました。
外に出ると、ドコモショップがいっぱいで充電を断られてしまったおじ様がお困りの様子だったので、私の携帯用充電器を貸して差し上げました。近くのホテルはもうどこもいっぱいという情報をおしえてもらい、私はホテルに泊まれないことを覚悟し、しばらく秋葉原駅前でこれからのことを考えました。


そして陽が落ちるころ、ツイッターで情報確認していたため再び電源が怪しくなったので、
落ち着ける場所を探そうと思い歩き出しました。
カラオケボックスやネットカフェなどがありましたが、余震がくるかもしれないので密室で一人は避けたいと思い選択しませんでした。
しばらく歩くと万世橋警察署があったので、トイレを借りてコンセントを使わせてもらえるか聞きました。恐らくもっとも安全で、トイレも水も電気もあるだろうと思い一晩かくまってもらえないか聞きました。
そこで対応してくださった方はこっそり「ここにいてもいいですよ」とおっしゃってくださったので、私は当面、せめてJRが動き出すまでいさせてもらおうと決め、
しかし最悪の事態を考え食料を調達に行きました。

肉の万世さんでカツサンド2つ、コンビニでおにぎりと水とポカリとお菓子などを買い、警察署に戻ろうとすると、ものすごい人の波で、つぶされそうになりながら警察署に戻り、コンセントの前の椅子を陣取りました。(笑)

そこでサラリーマンふうのおじ様と、キャリアウーマン風の女性2人と仲良くなり、4人でコミュニティをつくりました。
本当に一人でいるより近くの方とお話していたほうがいいと思い、お互い自己紹介をし、一晩ここで過ごすことになるかもしれないからよろしくお願いします、と挨拶をし、お菓子などを分け合って食べ、私はたまたま持っていた未使用マスクをお二人に差し上げました。女性でしたし、警察署にはほかにもたくさんの方がいらしたので、ご入用になるかと思ったのです。
マスクはとても喜んでいただけました。持っててよかった!

そしてJRが終日運転見合わせとの情報を得て、覚悟を決めました。
秋葉原から横浜は、さすがに歩ける距離ではなく、バスもない。すでに道路は渋滞し混乱していたし、夜の女性の一人歩きは危険だと思ったため、いられるだけ警察署にいようと思いました。

少しカツサンドを食べて落ち着き、お子様連れの外国人の方でお困りの様子の方がいらしたのでつたない英語で話しかけたら、タイの方で日本語がまったくできなく、英語も少ししかできずコミュニケーションはままなりませんでしたが、お子様が寒がっていたので持っていたパジャマの上着をお貸ししてチョコレートを差し上げたらとても喜んでくれました。
たったそれだけのことで非常に感謝され、何度もお礼を言っていただきました。笑顔がとても嬉しかったです。

コンセントをずっと使わせていただけたのでバッテリーの心配がなく、いろいろな方に充電器をお貸ししました。私は仕事で泊まりの装備をもっていたため充電器もコンセント用と携帯用で2つ持っており人に貸すことができよかったと思います。
それで常にツイッターをチェックし、スカイプで家族と連絡をとることができました。

地震発生直後から電話は一切通じず、メールも後れて届く有様だったので、スカイプの使えるスマートフォンでとても助かりました。

ツイッターにもとてもたすけられました。デマも多かったですが信頼できる最新情報も、そして励ましの言葉も、友人たちの無事の知らせもあり、ほっとしました。




わあ、まだ半分しか書いてませんが長くなったので今回はこのあたりで…。
すみません、まだ完全には回復しておらずちょっと歩くと眩暈がするのです。
でもとにかく元気です!ご心配なく。

では後編はまた後日!







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プロフィール
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望月桜/桜湖
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性別:
女性
職業:
漫画描き
趣味:
音楽、囲碁、フィギュアスケート鑑賞
自己紹介:
本館サイトにいろいろあります♪
Fiori Ciliegio

3/31生まれ静岡県出身横浜市在住

Twitter→http://twitter.com/motimado


★漫画★2011年

「月刊コミックCawaii!」(主婦の友社)
創刊準備号 2/3配信開始
巻頭『REAL HACKER』32P掲載
アクセス方法はこちら→
http://aoisakurako.blog.shinobi.jp/Entry/1504/





☆漫画☆2010年

9/30★主婦の友社コミックCawaii!で『彼女は恋愛困難症』後編掲載★http://cawaii.shufunotomo.co.jp/yomikiri/?p=1192


9/23★主婦の友社コミックCawaii!で『彼女は恋愛困難症』前編掲載★http://cawaii.shufunotomo.co.jp/yomikiri/?p=1168


★同人誌【菊華台】漫画を担当させていただきましたhttp://kikkadai.blog112.fc2.com/

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